読み砕くということ。
「何でもかんでもランキングにするのは、どうだろう」という疑問を、私は抱いているが―――『日本の子供の読解力は、世界で現在14位』という最近の調査結果には、少々驚いている。
これは誰のせいか、と問われたら、大人のせいとしか言いようがない。
国語の授業がつまらなく、意味の無いテストを行っているのは、随分と以前からである。
TVでオンエアされた、特に最近、顕著に学術大国となりつつあるフィンランドでの学習風景を見ると、そこの学生達は幼い頃から論文制作や複数によるディスカッションを教えられ、実に効率的に読解力を鍛えられている。
彼らが、常に作者の意図を的確に読み砕く習慣があるのに対し、我が国では、活字に比べて格段に読みやすい漫画ですら、読み方が分からないという子供が増えているのも耳にする。
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実は、文章というものは、謎かけの塊である。
作者が各自の感性で、より美しく伝えようと努力した賜物がそれらだ。
だが、読解力が無いということは、書かれたものの真意を汲み取れないことと同意義である。
そして、作家にとって『文中に隠した宝』を気付かれないということは、非常に不幸である。
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感想を形にして、表現すること。
これこそ、読解力を磨く近道かもしれない。
ネットなどで目にする、書籍や映画、アニメの批評や批判もまんざらではない、と思った。
良くも悪くも、何かしらの作品に対して自分の意見を書くことは重要である。
これからの若人達には率先して、『読む・観るだけ』でなく、そこに自分の意見を当ててみたり、何かを考えて、感じて欲しい。
切に、その感性を磨いてもらいたいものである。
そして彼等が興味を失わないよう、提供する側にも、常に切磋琢磨が求められよう。